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第1回グランプリ受賞者インダビュー

昨年2021年12月19日(日)に開催された第1回かわさきピアノコンクール本選にて、F部門第1位及びグランプリを受賞された藤村瑛亮さんのインダビュー記事が、月刊ショパン3月号(2/18発売)に掲載されております。
インタビュー記事は一部のため、Webサイトにて全文を掲載させていただきます。

藤村瑛亮さん(東京音楽大学大学院修了)
F部門(音大生・一般)
第1位及びグランプリ受賞

※月刊ショパン誌3月号にて掲載されております藤村瑛亮氏の肩書に誤りがございます。
【東京音楽大学大学院2年】ではなく正しくは【東京音楽大学大学院修了】となります。

インタビュアー
藤巻暢子氏(音楽ジャーナリスト)

以下、藤村瑛亮氏を「F」、インタビュアー(藤巻暢子氏)を「I」と表記いたします。

グランプリを受賞された感想

I:発表をご覧になられての率直なご感想を

F:正直、大変ビックリいたしました。SNSでコンクールのことを拝見し、僕自身川崎市民なので、縁があるのかなと思い、受けてみようと思いました。第1回目ということで、このような結果をいただけることとなり、非常に嬉しく思っております。

選曲への想い

I:選曲がコンクールではレアと申したらよいのでしょうか、あまり皆さんがお弾きにならない曲でしたが、藤村さんご自身がお弾きになりたいと思われたのですか?

F:もともとこの曲は僕の修士課程でのテーマとして取り組んでいた作曲家の作品でもあるので、修士の試験でもプログラムをシマノフスキに絞って受けましたし、思い出のある作品なのです。オハコと云う感じでしょうか。

I:非常にミステリアスな雰囲気で、スタインウェイの高音の美しさをホールの音響が実に素晴らしく届けてくれ、素敵だなぁと思いながら拝聴させていただきました。

F:ありがとうございます。

これから取り組みたい作曲家

I:これからシマノスフキの他にも取り組みたい作曲家は?

F:今フォーレに意欲的に取り組んでおりまして、今度コンサートでもフォーレの作品を何曲か集めて演奏する予定です。
シマノフスキと音色的にもやや似ている部分があると思っているので、きれいな作品に取り組んで行きたいと思い、今年はその年としてたくさん譜読みをいたしております。

I:フォーレには独特なニュアンスがあって美しいですね。ノクターンなども。

F:はい、ノクターンも弾きました。今度のコンサートでは「舟歌」を弾く予定です。

I:そのコンサートというのは?

F:仙川で行われたオーディションで入賞したことから来年2月に演奏の機会をいただきました。

I:色々積極的にコンクールに参加なさっていらっしゃるのですね。

F:そうですね。

ピアノを始めたきっかけ

I:ピアノを始められたのは、ご自身がお好きだからだったのでしょうか?

F:もともと姉が習っておりまして、やめると同時にピアノだけが家に残ってしまい、もったいないなということになり、下に僕がいるし、やらせてみようかなというところで、習い始めたのです。

I:その時はおいくつで?

F:5~6歳だったかと。

I:お姉さまとは歳が離れて?

F:8歳離れておりまして、丁度姉が小学校を卒業した時でした。

I:中学受験で忙しくなられて?

F:はい、そうです。

I:じゃあ、お姉さまのピアノを聴きながらお育ちになられたのでしょう?

F:ええ、でも正直幼かったので、あまり覚えていないのです。気づいた頃には姉はもうとっくに止めていたので。

I:5歳から始められて、途中でやめたいと思われたことは?

F:習い事の一環としやっておりまして、単純にレッスンに行けば友達にも会えるのも面白かったですし、特別やめたいなとか思うことはあまりなかったです。
中学に入って、なかなかピアノを弾ける人っていないので、ちょっと特技かなと思いながら取り組んで。。。

I:私も指導していたことがありまして、男の子さんがピアノを続けていくことの難しさは常々感じておりました。まず練習はしてこなくて、先週と全く変わらない子がほとんどだったり。。。(笑)

F:レッスンの時に練習するのですよね。(笑)

I:藤村さんにもそんなことおありでしたか?

F:僕はちゃんと練習していきました。(笑)

大学受験から大学院進学までの選択

I:東京音大に入られる前は?

F:国立音大の附属高校に通っておりました。

I:じゃ、どうして東京音大を受けられたのですか?

F:もともと学校とは別に習っていた先生もいまして、その先生が東京音大で教えていらしたということもありまして。国立は音高と大学とでは先生が違うので、今就いている先生のところに行こうと思って東京音大に。

I:大学院に進まれるということもなかなか決意の要ることでいらしたと思いますが、
  それはどういうことから?

F:大学に入学した時から、院までは進もうと思っておりまして、先生や親には1年生のときからそのことを言っており、必然的に行く感じになっていたので、あまり考えずにそのまま上に進んだという感じです。

I:お家からご理解が得られてよかったですね。そしてずっとお家から学校へ通えることができたこともよかったですね。都内にいらしても、様々な事情からお家を出られる方もいらっしゃいますから。経済的にも大変ですものね。

これからの活動

I:今後の意欲と申したらよいでしょうか、どういうピアニストを目指すとか、これからもコンクールを受けられたいとか、そうした抱負はおありでしょうか?

F:来年から別の大学で常勤の助手に採用いただきまして、来年から助手として働きます。
けれど演奏はこれからももちろん続けていきたいですし、リサイタルも来年(2022年)12月に東京文化会館で控えております。同時に大学と云う公共の場で後進の指導にも大変興味があるので、その方面でも         活動していけるようにと思いながら、しっかりと目標を決めて行きたいです。

I:よく、ピアニストの方が教職の仕事が決まると安心なさる反面、これまでのように自由に好きなだけ練習できなくなるという不安感にも陥る方もいらっしゃるようですが、藤村さんはとても前向きでいらっしゃるのですね。

F:僕は音高に通っていた頃から、もちろん演奏も好きなのですが、将来的には教えることにも力を入れて行きたいという、どちらかと云うとそちらの方が強かったというような。。。その夢に向かって行く道中でレベルも上げてきたというか。。。

I:生徒さん方もお幸せですね。そういった意欲を持った先生に教わることができたら。

F:実際大学院でもティーチングアシスタントと云う制度がありまして、同門の学生に個人レッスンをしたりしておりました。その経験なども楽しく充実していましたので、やはりそういう方向に進みたいなと思いながら過ごしておりました。

I:同門の方に教えるということは年齢的にあまり差がないですよね。

F:そうですね、近いですね。離れていても3つ4つとか、ちょっと先輩後輩というような中で教えられるのもやりやすさがあるかと。そこでも指導と云うことでは勉強になりました。

I:小さい方とか教えられたことは?

F:学部生の時、僕が地元の川崎でかつて習っていた先生のところで、指導の助手的な感じで、小中学生にも教えていたことはありました。

I:お小さい方を教えられることは大変でしたでしょう?

F:むしろそちらの方が大変でした。

I:ロシアでは幼児科の先生が最もレッスン料が高いのだそうですよ。
ご苦労でしょうし、人生の基礎を教えるわけですから責任もあるし、色々なことを考えなければなりませんからね。大変だと思います。
今回のコンクールでも、幼児科や小学生低学年の方々が、とても感性豊かで、将来こういうお子さんたちが育って行かれるのは楽しみだなと思いました。
音楽を教えるということはとても大切なことですよね。音楽に接したり、音楽を習う機会があった子供は非行には走らないと、どなたかがおっしゃっていました。そういう面でも藤村さんが貢献なさることは大切なことですよね。さらにはご自身の演奏も大切になさって、本当に意欲的です。

理想のピアニスト

I:ところで、お好きなピアニストは?

F:具体的にこの人とかはないのですが、本当に勉強になるので、色々な演奏家の演奏をよく聴くようはしていますし、先日のショパンコンクールでも同世代の方たちがすごく活躍しているので、見ながら色々参考にするようにはしています。

I:私もショパンコンクールに参り、月刊ショパン誌上に、3次予選と本選の模様をレポートさせていただきましたが、日本の方々の活躍は素晴らしかったですね。
皆さん出場の回数を重ねるごとに個性が出られて、自由に表現できるようになられましたね。どなたが印象に残られましたか?

F:やはり反田さん。僕は昔反田さんのコンサートの譜めくりをしたことがありまして、その時もピアノに向かう姿勢が本当に素晴らしくて、こういう人が一流になるんだなと、ずっと見ていました。

I:どのようなコンサートだったのですか?

F:2台ピアノで、務川さんと。本番では務川さんの譜めくりをいたしました。
日本を代表するピアニストって、何から何まで違うなと思って、いかに自分が小さいかということが分かって。。。

I:まぁ、謙虚でいらっしゃるのですね!

F:じかに感じるということはいい経験でしたね。

I:演奏は、本来コンクールで順位をつけるようなことではないと思うのですが、このたびの第1回かわさきピノコンクールでも皆さんの個性が素晴らしく、その中でよい審査結果を出していただけ、とても良かったと思いました。

一番衝撃を受けた苦悩や学び

I:これまで、藤村さんが一番感動を受けたこと、音楽でも美術でもなんでも、胸にズシッと来るようなことがおありでしたら教えてください。

F:ちょっと論点が違うかもしれないのですが、僕2年前に腱鞘炎を起こしてしまったことがありまして、丁度それがコンクールにエントリーした直後に起こってしまい、今までに経験したことのないような痛みがひどくて、左手だったのですが、注射を打ったり大変な時がありました。
大学院に入学してすぐの時だったのですが、その後すぐには練習が出来ない環境となり、同期の友達や先生に助けてもらいながらなんとかそのコンクールも練習をなるべくしないで、ギリギリ、直前に練習して出るみたいな感じで、今まで経験したことのないような状態で出場したことが一番大きな出来事でした。

I:どうやって克服なさったのですか?

F:以前にもシマノスフキで受けて弾いたことがあったのですが、本番の前ではみんな練習して練習していろんなことを確認して万全な状態で出るのが当たり前の中、僕はとりあえず、弾き切ることが目標みたいで、違う次元でやっていましたから、本当にそのことが心に残りました。

I:そうでしたか。じゃ、色々とご縁のある、思い入れのあるシマノフスキ作品を、今回弾かれたのですね。でも、腱鞘炎になられたことも、今後の練習の時、こういうことをしちゃいけないとか、無理をしちゃいけないとか、色々な意味でプラスにもなったかもしれませんね。

F:いかに自分が力んで、ガムシャラにやってたかということもそこで学ぶことが出来ました。そこからピアノに向かう姿勢とか、もうちょっと考えなければいけないとか、練習のこともよく考えて、練習時間は逆に減らし、いかに効率よく出来るかを考えながら練習するようにはしています。

I:手の病では、レオン・フライシャー氏や日本のピアニストの方々も“ジストニア“を患い、長い年月をかけて闘ってこられましたが、腱鞘炎で済まれてよかったですね。

F:本当に初期で済んでよかったです。

I:でも、ピアニストにとっては大きな課題ですよね。腕をいかに痛めないように弾き続けるかということは。その時は特別に専門のお医者様にかかられたのでしょう?

F:注射を打って、あとは安静に安静にで、そのあとはなにかしたわけではなかったです。
丁度その時は「飯塚新人音楽コンクール」の時で、それが、1位は獲れたのですけど。

I:ええっ!すごいですね! 「飯塚新人音楽コンクール」はレヴェルが高いですから。

F:周りはすごく驚いて、なんでそんな状態で獲れたのと。

これからの抱負

I:色々鍛えられてこられたのですね。国際コンクールなどに挑戦されるとかの夢はおありですか?

F:あまり国際的なことって今まで考えてこなかったのです。当然そういうことも挑戦して行ければとは思うのですけれど、やっぱり国内の方で色々自分のできることをして行きたいかな、と云う方が強いので、結果的にそれが大学の助手とか、そういうことに向いているのかなと。

I:来年は「高松国際ピアノコンクール」や「仙台国際音楽コンクール」とかありますけど、エントリーなさるお気持ちはないのですか?

F:そうですね、コンクールにも選曲とか課題曲とかがあり、やはり正直得意不得意もある方なので、それを見極めて選んでいるので。

I:すごいですねぇ、ちゃんと冷静に考えられて。。。

家族への感謝の思い

I:この度優勝なさって、ご家族の方々もお喜びになられたでしょう?

F:そうですね。他のところでの1位ももちろん嬉しくはあるのですけど、川崎という自分が生まれ育ったところで、初めての第1回で優勝できたことは、本当に嬉しく思っています。

I:ご家族は会場に見えられましたか?

F:母親が会場で聴いていました

I:ご家族は音楽がお好きなのでしょうね。あなたのような方がこうして立派にご成長なさられた背景には、きっとそういう環境がおありかと。

F:ただ、両親は全く音楽をやっておりませんで、音楽家の家ではないのです。

I:かえってその方がよいこともありますよ。両親が音楽家だと、駄目にしてしまうケースも往々にしてありますから。でも音楽はお好きでいらっしゃるのでしょう?

F:だと思います。

I:絶対そうだと思います。全く何もないところから花が咲くということはないと思います。やはり土壌があるのだと思います。本当にお幸せな環境で、これからも素晴らしい演奏と指導をなさってください。また藤村さんの演奏を聴かせていただきたいですわ。
来年2月のフォーレによる演奏会も、ちょっと寒い季節ですけど、気をつけてくださいね。

今日は本当にありがとうございました。お話を伺えて幸せでした。あなたのような素晴らしい青年が良い指導をなさって、これからの日本で音楽性豊かな生徒さんをたくさん育ててください!